吉好がヲタク落語を始めたワケ
お疲れ様です。春風亭吉好でございます。
今日は吉好が武器にしているヲタク落語を始めたきっかけのお話。
既にプロの落語家になる事は心に決めて動いていた2008年。
当時涼宮ハルヒのブームで秋葉原の歩行者天国が盛り上がっていた頃に壮絶な事件が起きてしまいます。「秋葉原無差別殺傷事件」です。
この事件の影響で秋葉原で歩行者天国はなくなり、暗いムードが漂いました。
アニメが、秋葉原が大好きだった僕は自分のできる落語で少しでも秋葉原に笑いを取り戻せないかと考えます。
そんな時に出会ったのが「春日家にしん」さんという1人のヲタク芸人(?)の方です。
この方は涼宮ハルヒにガチ恋をし、YouTubeなどにハルヒに会う為二次元に如何にして行くかなどの動画を挙げていた少し、、かなりおかしい人です(笑)
あとは落語も好きという共通点があり意気投合をし、「そうだ!秋葉原で寄席をやろう!」
という流れになりました。
秋葉原のレンタルカフェを1日貸切り、関東落研の女性陣やにしんさんのお知り合いの女性にメイド服を着ていただき史上初メイド喫茶での落語会という触れ込みで落語会をやりました。
これが今の「もえよせ」の原型です。
この時は落研界隈のヲタクなメンバーにアニメネタでアレンジした落語をやってもらいました。
さぁ、そして吉好は何をやろうという時にたまたまどこかの落語会のチラシ挟み込みバイトの休憩中の会話の流れで出てきた「あくび指南とツンデレを合わせたら面白そうだよね。」って所から膨らませたのが「ツンデレ指南」
今のツンデレ指南の原型はこの時に出来ていました。
落語は出来ましたが初めての改作。そして客席は超満員でしたが半分は落語を初めて聞く秋葉原のヲタクの方々。
当時は落研関係や地域の年配の方以外に落語を聞いていただく機会は少なかったのでヲタクネタを盛り込んだとはいえウケるのかどうか不安でした。
ところが蓋を開けて見たらヲタクの方々の反応はめっぽう良く、初めて聞く落語、ヲタクなギャグをめちゃくちゃ笑ってくれました。多分アマチュアでやってる間でここまで笑いが来たことはないでしょう。
会としては大成功。帰りの電車で達成感から何故か涙が出てきました(笑)
これはプロになってもいつか使える武器になると。
たまたま会場に見に来てくださった慶応大学落研OBの方がいまして、その方の仲介でニッポン放送吉田アナとお知り合いになりコミケのオタク落語CDにも参加できる事になりました。
師匠の元に入門が決まり、師匠から「古典だけでなく新作も作れるなら作りな」との言葉があったので前座の頃も1年に1本はヲタクネタを書いていました。その頃に出来たのが「ガンダム怖い」や「ジュゲムクエスト」です。
そして二つ目に昇進し一年が経った頃、その頃はまだ古典落語中心で、ヲタク落語は自分のヲタク落語会でしかかけていませんでした。
しかしこの頃少し上の兄さん方がユニットを組み始め大ヒット。このままでは埋もれてしまうという焦りから深夜寄席で勇気を振り絞り「ツンデレ指南」をかけてみたら不特定多数のお客様にも笑っていただきました。
この時の高座の影響で有難い事にテレビの出演のお話をいくつかいただき世界が広がりましたね。
それからはヲタク落語を堂々と高座にかけ趣味を全面に出して今に至ります。
大好きなアニメと落語を掛け合わせたヲタク落語はある意味究極の自己満足の世界。わからない人にはわからないけどわかる人には共感してもらえる諸刃の剣。
ですから一般の落語ファンの方の反感を買うことも多いですが、それ以上にそれまで落語に触れる事のなかったヲタク層が落語に触れるきっかけになる尊い活動をしているのだと誇りを持っています。
落語ってどうしても敷居が高いようで興味があっても寄席に行くのは躊躇してしまうようです。
それがアニメネタなら、声優さんが出るならと一歩踏み込んでもらうきっかけになるのがヲタク落語。まずは聞いてもらわない事には落語が楽しみやすいジャンルという事もわかりませんからね。
最初は小さいところでただ演芸会だった「もえよせ」も今では大好きな超有名声優の方とご一緒にお仕事ができています。それもこれもめげずにヲタク落語を続けていたお陰です。
僕を支えてくれていたヲタク落語を自身のライフワークとしてこれからも続けていきたいと思います。
長くなってきたのでもえよせの詳しい話はまたいずれ。
次回は吉好とお酒のお話をしようかなと。
春風亭吉好